
前書きを少し見てみて、人と人とがケアし合う中で、
"傷つきやすさ"には注目されがちだけど、"傷つけやすさ"に主眼をおいて書いてみる、
という部分が自分に必要そうだなと思って手に取りました。
後乗せサクサクで更に言うと、僭越ながら自分がほかの方の"居場所になっている"
と感じることがあって、それでいて私はその方と立場が違うので悩みを理解することができず、
その方を いつか傷つける/既に傷つけている かもしれないと思っているから。
「傷つけて、失うかもしれない」ってのは誰だって怖いですよね…。
まず、読んでみて思ったことが2点。
1.「数十年ケアの世界にいたプロと、ケアなんてしたことない私が行き着く結論同じかよ!?」この点について、私の人生における人付き合いの持論が二つあって、
「どうせ私は(無自覚的にも)他人を傷つける。せめて、
"傷つけることを前提におく"ことで、大切な人には配慮するようにしよう」
「人生、茶飲み友達が一番必要かもしれん」
というもの。
ざっくり言うと著者は上のようなことを、小難しい言葉を織り交ぜながら言っているだけに思え、
私の持論の補強や強化がされるでもなく、端的に言えば"新しい知見は得られなかった"。
でも、心というものをターゲットにする以上、100%の正解というものはあり得ないので、
こんなものといえばこんなものなのかもしれないです。
少なくとも、そのことを研究し続けている人と同じくらいにはずっと悩んできて、
自分なりの考えを持てたんだなとは思いました。
2.「この人の文章…概ね同意するけど、何かいつも足りなくてモヤるんよな。。」まずは読みやすさ、というより読者に伝えようとする意思。
例えば表紙の右上"ケアと生きるスペースをめぐってある男性研究者が考えたこと"と
全く区切りなしに書いてあるけど、これ読みにくいし意味汲みにくくない?
#中身を読めば"ケアと/生きるスペースをめぐって/ある男性研究者が考えたこと"と分かる
また、作中に挿入してある過去のインタビューは完全に口語のまま書かれていて
"「わあー!」ってなった"とか言われましても、どういう身振り手振りをしてるのか、
前後の文脈もないし補記もされていない…
著者だけが分かるメモ書きを、お金払って買ってしまったのか、って思う。。
また「理想は分かった。でも具体的にどうしろと?」って場面が多く感じました。
"ケアは不当に狭い範囲(施設、家族など)に押し込められ、
ケアにあたる人間は不当に少ない報酬で労働を強いられてきた"
これはそう。
"これからの社会では、これまでの社会そのものを見直しながら、
ケアをする側の人もケアを受けられるような、居場所/生きる場所が必要になる"
そう…なんだけどさ。
人と人とはケアをし、ケアを受けるものでありながら、
傷つき、傷つけあうものなのだから、
その居場所が人を傷つける可能性もあるよね?
また、世の中には
善意を騙る悪意だってあるわけで、
ケアを受けたい(適当な言葉が見つからないけど)追い込まれた人が、
そんな数多の"居場所"の中から、自分にフィットするものを探すって、
ちょっと精神的負荷高すぎる気がするんだけど、どうすれば良いと?
…いや、我ながら無理難題を言ってるとは思うけど。
本書のなかではうまくいった事例(こども食堂にきた母子が、
こどもきっかけにお母さんも心を開くとか、
ご近所の赤の他人からの通報でヤバい人を見つけ、声かけできたとか)
を中心に記載していて、ケアする側は閉じこもることなく社会に助けを求めよう、
居場所の側も小さな声を聞き漏らさないように、管理や合理性より大切なものを考えようと。
難しいよね…私だって、茶飲み友達全然できないのだし(そもそも外出あんまりしてない)。
いわゆるケアを必要としているセンシティブな問題を抱えているなら、
なおのこと弱みって晒しづらいですよね、逆に警戒しちゃいそう。
モヤったけど。大いにモヤったけど。。
一度文章化してアウトプットしたことで、次に進めるきっかけになったのかもしれない。
…そう思うことにしよう(笑)